兼重宏行氏が行った『公民館結婚式』とは何ぞや?

ビッグモーター・兼重宏行前社長の故郷・山口県での取材の様子が、昨日のサンデーステーションで特集されていました。

その中で、親戚・知人にインタビューをしていたんですが、兼重宏行前社長が『公民館結婚式』をしました、みたいなことを言ってたんですよね。

『公民館結婚式』って初めて聞く言葉なんですが一体何ぞや!?と思って調べてみました。

公民館結婚式とは?

といっても調べるまでもなく、公民館を借りてする結婚式のことなんですが。

人生史上初めて聞いた単語だったのでちょっと気になっちゃいました。

婚礼の文化というのは地域によってそれぞれなので一概には言えないのですが、共通するのは『家』と『住んでいる土地』の行事であったということです。

ドラマとか見ていても、婚礼(祝言)は嫁入りする家でやっていますし、嫁入り先の村を挙げてお祝いムードになってます。

そういった古くからの慣習がだんだん変化してきたのが昭和30年頃(1960年代頃)からと言われています。

戦後、市街地の住宅事情などもあり、自宅で祝言を挙げることが難しくなってきて、公共の施設や広い会場を借りて披露宴をするようになってきたそうです。

その会場が、地域の公民館や集会所、料亭や旅館(ホテル)だったんですね。

自宅で祝言を上げられないから仕方なく外の会場を借りて、という考え方だったのが、高度成長期などの時代の変化を経て、外で結婚式をあげるのが普通になっていったそうです。

昭和40年頃(1970年代頃)、市街地での結婚式はホテルや結婚式場でするのが当たり前になりました。

(ここまで参考にさせていただいたのは新・日本の結婚式の歴史さん。驚くほど結婚式の歴史が詳細に書かれていて勉強になりました。)

公民館結婚式はいつ頃なくなったのか

『公民館結婚式』が昭和30年頃(1960年代頃)から始まって、高度成長期を経て豊かになるにつれ、会場が結婚式場やホテルになっていったということなのですが。

では、いつ頃『公民館結婚式』を選択する人がいなくなってきたのかに関してですが、別の資料によると、昭和50年代頃(1980年代頃)にはあまり見られなくなったとありました。

ちなみに、うちの親は結婚式場やホテルではなく、神社で結婚式を挙げた後にその神社併設の宴会場で披露宴を行ったそうですが、昭和50年代(1980年代頃)のことでした。

私が子供の時はじめて出席した親戚の結婚式(昭和最後~平成初期の頃・1990年前後頃)は、結婚式場やホテルでのものでした。

私が『公民館結婚式』という言葉を聞いたことがないという理由は、年齢的なタイミングの問題だったようです。

兼重宏行前社長がご結婚された正確な年は不明ですが、1976年(昭和51年)の兼重オートセンターの創業よりも前とのことなので、公民館で結婚式を挙げていても何ら不思議ではないですね。

昭和50年代には都市部では姿を消しつつあった『公民館結婚式』ですが、地域のつながりの強い地方ではまだまだ選択肢の一つであったのだろうと推察しました。

あとがき・私見

でもこの『公民館結婚式』、もしかして今の時代でも案外いいかもしれないな~と思いました。

交通アクセスの関係もあって、新郎新婦とも同じ地元とかの場合になるとは思うのですが…。

ここ数年コロナ禍では、公民館でのイベントも行われなくなったし、お葬式もほとんど行われることがなくなりました。

(話それますが、最近お葬式とか霊柩車とか見なくなりましたね)

広い公民館が空きだらけで、もったいないな~とずっと思ってました。

ウェディングプランナーに依頼して地元の公民館で結婚式、という選択肢もこの不景気にはあっていいと私的に感じました♪

(重ねて言いますが、新郎新婦とも同じ地元だったり、家族だけで結婚式をする場合に限りますが。友人として招待されたら交通アクセスが難点になると思うんですw)

私が結婚式をした時代は、まだ結婚式場とかホテルでの結婚式が主流で、ボチボチとレストランウェディングも出てきた頃でした。

レストランなどで会費制1万円位で服装も比較的軽装で済むので若い人には好評でしたが、親・親戚の世代からは「みすぼらしい」と不評な時代で丁度過渡期だったように思います。

でも今となっては、レストランや庭園でのパーティ形式の結婚披露宴の方が主流で、ホテルとか結婚式場を選ぶ人が減ってきました。

(ちなみに私の結婚式はホテルでした。時代ですねw)

結婚式も時代によって少しづつ変わってくるものなのだなぁと今日は改めて思った次第です。