子供と一緒に、『曇天に笑う』のアニメを見ていて、モブが「滋賀県民舐めんな!」と叫ぶシーンがあって、「これ、滋賀県の人、嬉しいやろな~www」と、子供が大ウケしました。
他にも、主人公・天火が「見せてやれ!近江魂!」とかモブを鼓舞するシーンもありますし、こりゃ完全に滋賀県民応援アニメだと思った次第です。
ぜひ、この春公開の実写版でも、このシーンをカットせずに、実写で「滋賀県民舐めんな!」を、やっていただきたいものですw
子供から、滋賀県はいつから滋賀県?と聞かれました。
それにしても、「滋賀県」って、いつから「滋賀県」なのか?
チビが、歴史の授業で「廃藩置県」という言葉を習っていたので、そんな疑問を持ったみたいです。
前に、私一人で視聴した時は何の疑問にも思わなかったのですが、子供から聞かれて「はっ!そういえばそうだよな・・・」と思いました。
子供の視点って、面白いですよねwww
なるほど、江戸時代の「藩」の時代から、明治時代の「県」になる明確な境目って、いつなんだろうと考えたら、そもそも『曇天に笑う』の時代に、「滋賀県」は本当に「滋賀県」だったのかという疑問が出てきました。
(作者さんがそれ位は、時代考証してるだろうとは思ったんですが、念のため・・・)
「滋賀県」は、一体いつから「滋賀県」になったのか、出てきた疑問を大調査してみました。
それにしても、自分の人生で、こんなに短時間の内に、「滋賀県」という単語を大量に使ったことが、未だかつてあったでしょうか?(笑)
滋賀県は、いつのタイミングで滋賀県になったのか。
今回、滋賀県について調べた際、参考にさせていただいたのは、ウィキペディアの『滋賀県』のページです。
主人公の天火も「近江魂」と言っていたように、今の滋賀県は、かつて『近江国(おうみのくに)』という名でした。
江戸時代になると、いくつかの藩に分かれていのですが、その後、明治維新をきっかけに、まず1868年(慶応4年)に、幕府領・旗本領に「大津県」が設置されました。
その後、1871年(明治4年)の廃藩置県により、琵琶湖の周りの各藩がそれぞれ、新たな「大津県」と、「長浜県」に統合されました。
翌年1872年(明治5年)に「大津県」が「滋賀県」、「長浜県」が「犬上県」に、それぞれ改称され、同年9月に2つの県が合併して、今の滋賀県になりました。
ということで、「滋賀県」という名前が出てきたのが、明治5年。
『曇天に笑う』のアニメは、明治11年という設定ですので、アニメの中ではすでに「滋賀県」になっているということになりますね。
アニメを見ていても分かる通り、洋装の人がいたり、和装の人がいたり、和風建築の家があったり、洋館や西洋式庭園があったり、と、色々な文化が混在する時代でした。
明治時代のようでいて、江戸時代っぽかったり、色々な事が一気にすごいスピードで変化していく、複雑な時代だったんでしょうね。
生まれ育った郷土の地名が変わるのはもちろん、全人生をささげてきた「藩」がなくなったり、武士が武士でいられなくなったり、命と同じ位大切な刀を取り上げられたりと、変化についていくのが難しいことが沢山あったと推察されます。
ずっと当たり前のように存在していたものが、ある日突然なくなってしまったら、私のようなドンくさい人間は、生きていけない時代だったろうな~と思います。
最近よく、「10年後になくなる職業」なんていう話題を、ネット上で見かけますが、10年後、私の仕事や居場所が突然亡くなったら、生きていけるんだろうか・・・(って話が飛んでスミマセン!)
ということで、正直「え?その情報、このアニメで重要なこと?」と思ったんですが、私自身もちょっと興味があり、滋賀県の近代の歴史について、調べてみることにしましたが、なかなか興味深い内容でした。
「滋賀県民なめんなよ!」は、滋賀県が出来てから6年目の発言であることが発覚
ということで、都道府県が出来たのが1871年(明治4年)で、滋賀県ができたのが1872年(明治5年)なので、明治11年には、モブが「滋賀県民なめんなよ!」と叫ぶほど、「滋賀県」という括りが浸透していたに違いない、ということで、すっきり解決です♪
最後になりましたが、歴史の授業で「廃藩置県」の年号を聞かれたら、ぜひ、以下のごろ合わせで覚えましょう。
「藩とは言わない(1871)、県という」
語呂合わせの文章を読んだだけで、藩が廃止されて県になったことが、一目瞭然です。
世に、年号の語呂合わせは沢山ありますが、これほど完成度の高い語呂合わせは、なかなかお目にかかれません(笑)
私は、この語呂合わせを見つけた時、ひどく感動したのを今でも覚えています。
みなさんも、ぜひ「藩とは言わない、県という」と覚えて下さいね。
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