怒りや恨みのエネルギーを向ける矛先が、日本人と韓国人では根本的に違うのが、実に興味深い・・・

10月9日は、お隣の韓国では『ハングルの日』という祝日なのだそうで、それにちなんで、今日は韓国ドラマを見て私的に感じた、韓国人の物の捉え方の特徴について、あれこれ考えてみました。

決して、こっちの考え方が善で、そっちの考え方は悪、みたいなジャッジではなく、客観的な感想ということで、自由に語っておりますので、ひとつよろしくお願いいたします。

 

ハングル文字は、長い歴史の中で自然にできた文字ではなく、わざわざ作られた文字だというのは知っていました。

しかし、誰が作ったのかとか、作るまでの紆余曲折を含めたストーリーは、『根の深い木 ~世宗大王の誓い~』という、韓流ドラマで知りました。

視聴のきっかけは、ハングル文字の成り立ちが知りたかったのではなく、我が愛しのチャン・ヒョク様が出演している、という、ただそれだけの理由ですw

作品自体は、とてもおもしろく、キャラクターの一人一人の個性がとても立っていて、韓国ドラマでたま~にある「この人と、このシーンって、必要?」みたいな所など全くなく、最初から最後まで、ドはまりしたまま視聴し終えました。

あと、特にそれまで知らない俳優さんだったのですが、チョン・ギジュン役の、ユン・ジェムンがすごくよかったです。

正直、チャン・ヒョクと並んだら気の毒なビジュアルで(笑)、いかにも韓国の人によくいるタイプのお顔なんですが、存在感と凄みがありました。

(人様のビジュアルをディスってごめんなさい。身長は、チャン・ヒョクよりずっと高くて、180センチもあるんだそうですよ。…と一応フォローのつもり(笑))

韓流ファンの方はすでにご覧になっている方がほとんどだと思いますが、それ以外の方でまだ見ていない方には、歴史ドラマとして、ぜひおすすめしたい作品です。

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余談ですが、『根の深い木』を視聴した後、チャン・ヒョクとユン・ジェムンの共演が見たくて、『マイダス』を見たんですが、これも面白かった♪

話が『根の深い木』を見た感想から激しくそれちゃうので、『マイダス』のお話はいずれまた改めて。

Youtube・公式予告編より引用

で、この『根の深い木』というドラマは、ハングルができるまでのストーリーといっても、史実をベースにして多少の創作を加えた、フィクション・ドラマなのですが

ハングル文字ができるまでにあった、文字を作る側の苦労は勿論、文字が出来ることを喜ばない人達の混乱と葛藤、そして抵抗など、ポジティブな面だけでなく、ネガティブな面も、伺い知ることができました。

今まで知識階級や貴族階級の人だけの特権だった「文字」が、庶民やみんなのものになってしまうのを嫌がって、かなりの妨害工作があったみたいなんですが

ただ、「嫌がった」というより、自分たちの地位を脅かされるような気がして「怖かった」という方が、しっくりくるような気がしました。

Youtube・公式予告編より引用

で、ここからは完全なる私見ですが、韓流ドラマ(というか韓国の人)は、こういう思考パターンで動くことが、すごく多いような印象があります。

「自分たちの地位が脅かされるのは許せない」「ほかの人だけが得をするのは許せない」と考えて、「自分たちを守るためには、相手を引きずりおろす(または自分と同じ地位まで登ってこさせない)」という行動に出る、恨みや妬みをベースにした思考パターンです。

一見、攻撃的でいて、実はガチガチに身を守っているという・・・

このドラマの場合も、「皆も文字が読めるようになるから今以上にもっと勉強しないと」とか「王様自ら民のためにそこまでして下さるならぜひ協力せねば!」というドラマじゃないんですね。

「自分たちの地位を脅かす、新しい文字なんか、全然いらねーし!」という、怒りや恨みの渦巻く中で、多くの犠牲を払いながら、大変な思いをしてハングル文字ができた、というストーリーwww

勿論、日本人にも、たまに妬み嫉みの感情と向き合わざるをえない人はいるので、人の事ばっかりいえませんが、恨みを持つこと自体も、恨みや怒りがエネルギーになっている自分の気持ちを公然と口に出すのも、両方嫌われますよね。

ところが、韓国の人にとっては、恨みや怒りのエネルギーを露わにすることは、みっともないことでもなんでもなく、先祖代々脈々と受け継がれてきた、生き残るために必要な正当な手法にほかならず、何か事が起こったら、当然、いの一番にその方法をとるんです。

日本人は、怒りや恨みのエネルギーの矛先は、最初は当然「相手」に向くけれど、最終的には自分自身の向上だったり改善だったり、とにかく「自分自身の今と未来」に向くんですが、韓国・朝鮮人の怒り・恨みのエネルギーの矛先は、永続的に「相手」に向き続けるんです。

 

日本人で分かりやすい例をあげると、LED(青色発光ダイオード)を開発して、ノーベル賞を受賞した中村修二先生は、「日亜化学への恨みが研究の頑張りに貢献した」とか、「フロリダ大学の学生への怒りが博士号を取る頑張りにつながった」と、ハッキリ堂々と胸を張って発言していらっしゃいます。

私の母は、ニュースを見ながら「私、この人嫌い!よく恥ずかしくもなくそんな事言えると思うわ!!」って言っていました。

ただ、いつまでも組織や個人を恨んでいたわけではなく、ネガティブなエネルギーがそっくりそのまま、自分の研究に邁進するエネルギーに変換できたことで、自分自身の向上につながったから、結果オーライなんじゃないの、と言いうのが私の持った感想です。

中村先生の事例に置き換えると、怒りのエネルギーが、前の職場や学校へのいやがらせに、未来永劫・永遠に向き続けるのが韓国的な考え方、ある程度怒って冷静になった後は、自分自身への戒めや向学の方に目が向くのが日本的な考え方、と言ってしまってもいいかもしれません。

 

他に、タイムリーな例として、毎年の秋の風物詩(?)と化している「ノーベル賞、今年こそ!」の騒動(笑)や、毎度スポーツの国際試合で、相手国の邪魔をするのも、まさにこの考え方がベースにありそうです。

日本人がノーベル賞を受賞すると、喜んだり称えたりする前に、ねたんだり、ひがんだり、怒ったり、言い訳したり・・・(笑)

または、サッカーの試合で、わざわざベンチから走り出て自分から体当たりしてきておいて、「日本人選手が原因を作ったから」とかキレてたり・・・(汗)

しかも、その恨みや怒りの感情は、何年も後まで、ヘタしたら永遠に引きずるという・・・

これらの行動は、当の本人たちには「みっともないこと」とは全然認識されてなくて、むしろ、自分たちのことを思ってこその、「自分たちにとっては正しい行動」なんですね。

 

現代の韓国と日本の政治交渉でも、首をかしげたくなるようなことが多く、自分の正当性を声高に主張するだけにとどらまず、相手のことを悪く言ったり、邪魔をしたりするのが日常茶飯事です。

韓流の時代劇ドラマで、告げ口や讒言で政争相手が失脚するのは、ありがちな展開なように、朝鮮王朝での党争が繰り広げられたいた時代から何百年もたった今も、大統領自ら「告げ口外交」とかやってますし・・・

 

結局、どちらの国の考え方がいいか悪いかの問題ではなく、長い歴史を持つお互いの国独特の考え方の違いがベースにあるから、日本も、「どうしてわかってくれないんだろう」とか「そんなこと言って恥ずかしいとか思わないんだろうか」なんて言ってたら、ストレスがたまるだけかな~と思うんです(笑)

だから私達日本人は、「考えを改めてくれないかな?」と期待するのは辞めて、考え方が根本から違うから、今までもこれからも、決して分かってくれることはないんだろうという前提で、彼の国とのコミュニケーションにあたるべきかと。

負のエネルギーがそっくりそのまま永遠に残り続けることに価値を見出すか、負のエネルギーが発生してもいずれ推進力や向上力に変換されることに価値を見出すか・・・

物の考え方の相違は、お互い歴史が長いだけに、ドラマのタイトルじゃないですが、ほんと『根が深い』問題ですね。(ヨッ!うまい事まとめたwww)

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